昭和48年04月08日 夜の御理解



 御本部参拝、沢山まあ、いろいろな書物の刊行物を御本部から頂いておる中に、教主様の、また歌集が出てて、第四歌集、もう4冊目ですかね、その中に少し読ませて頂いてませんけど、こういう歌があります、「自らが秩序乱すに健康のくずるるはまさに当たり前なこと」という、もう人間教主様をね、感じさせます。
 「いとまなき 見て人の言う この吾の心に いとまあらしめ給え」、いかに自分の心に広い、大きな心になっておられること、身体の上ではもういよいよ暇がおありにならない教主様、それでも心の中には、いよいよ広い大きな心を願っておられる教主様、「言いし後 言わでよかりしことなりと悔やむ自分を吾と哀れむ」と。教主様でもやっぱりしもた、これはいわんで良かったと思われる様な事が時々おありになると思うんですね、ここには、もういよいよ反省を深く鋭くしておられる。
 教主様の御信心の御態度をここから感じさせてもらう。一番初めの「自らが秩序乱すに健康のくずるるは、まさに当たり前なこと」などと言う事は、例えばある人が、自分方の大変な物持ちの御信者さんが、自分方の倉庫が焼けて、大変なあのまあ損害であったと、それはおかげっち、もう誰がどう言うてもおかげって、本当にもう成程おかげと頂く事が素晴らしいことだけれども、本当になら、自分がどう変わると言う事も、これもおかげと言やもうそれまでのこと。
 けれども、自らが秩序を乱す、乱しておる事に、深い反省をもって、天候のくずるはまさに当たり前なことと、詫びいっておられる所がね、教主様はもう素晴らしいことだと、それはそうですよ、おかげなんです、例えばどういう失敗がおこってもおかげとこう、そのこれはは事実だけれども、そこに、人間としての信心というか、本当にこういう難儀な目に会うのも当たり前と言う様なものを自分の心の中に。
 さに当たり前なこととして受けておられる。ここの二つが信心には大事だと思うんですね、おかげとおおざっぱに頂けれる信心と同時にそれを秩序を乱しておる自分、健康のくずるるがまさに当たり前な事だとこう、その事に対する強い反省ね、この三つのことをどれをいうても、教主金光様の御信心をいよいよ進めておられる姿勢、私共もこの姿勢を一つ見習わせて頂かなきゃいけんと思うですね。